素性の知れない玄さんに恋をしてしまったと理世ちゃんに言ったら、恋愛に発展したのは喜ばしいことですが、現時点で素性が謎という事は、『ロマンス詐欺』や『デート商法』になる可能性もあるので気を付けて下さい、と釘を刺された。
ロマンス詐欺(主にインターネット上の交流サイトなどで知り合った海外の相手を言葉巧みに騙して、恋人や結婚相手になったかのように振る舞い、金銭を送金させる特殊詐欺の一種)というのは、国際的なものなので今回の場合、あまり該当しないと思う。しかし甘い言葉を吐いて恋人と錯覚させ、金銭を搾取するという行為はあり得る話だ。ブラックカードも、実際に使っている所を見た訳ではない。支払いの際、チラ、と黒いカードが見えただけ。
デート商法――どちらかと言えば、この方が玄さんに当てはまりそうだ。
この詐欺は、SNS、出会い系サイト(婚活アプリ含めて)、カップリングパーティー、合コン(コンパ)、電話、街角のアンケート、電子メール等で出会いのきっかけを作り、販売員が身分を秘匿して接近してくる。その人物は相手と数回会って話やデートをし、相手に好意を持たせた後、商品を購入させるべく、目的の販売店に誘いこんだり、おねだりしたりする。中には店内の販売員数人で脅迫した末、強引に購入させる手口もあるのだとか。怖いなぁ。また、『異性』で『付き合っている・もしくは好いている人物』であることが、クーリングオフの行使をできなくさせる効果がある。実質の心理戦勝利と言えるかもしれない。
更に商品購入後、詐欺に遭った自覚がなく、友人や家族等に話した際に初めて気付くケースである事も特徴の一つである。こぞって彼らは、「2人だけの秘密」と囁き、クーリングオフの期間を経過させる。とにかく、あらゆる手を使って高額商品を買わせるのが目的だ。(※参考:wikiペディア)玄さんは私をデート商法にかけようとしていると、そういう考えは片隅に置いておいた方がいいかもしれない。せめて彼の素性が解るまでは用心しておこう。
疲れていたというのもあるが、その日はゆっくり眠れた。自分の家だから久々にリラックスして眠れた。怖くなかったのは、玄さんのおかげ。謎深き王様に感謝しなくっちゃ。
「単なるメモ帳代わりの手帳だよ」「えっ」「流石に警察の制服なんて持っていないし、職業柄手帳を持ち歩いているから咄嗟に突き出しただけだ。ドアスコープで見る分には、それっぽいものを持っているだけでイケると思ったからさ。正直賭けだったけどな。玄関開けてくれて良かったよ」「そっか。とっさのことなのに、機転が利くんだね。すごい」 本当にこの人は何者なの。 優しい人だということは解る。でも素性がわからないと不安になってしまう。 私は悩んだ。こんな質問をしたら絶対に嫌がられるのにどうしても衝動を抑えられなくなってしまう。 人物像が見えないのは怖い。さっきのTakaさんがそうだ。こんなことが無かったら、問いただすような真似はしなかったのに、止められない。 「その手帳の中を見せて、って言ったら、見せてくれる?」 はっとしたように、私を見つめる玄さんの瞳が揺れた。ああこれは、きっと貴方の秘密につながっている。 玄さんが持っているのはただの黒い手帳。内容はわからない。でも、きっと玄さんの身元に繋がることや、ヒントになるものが記されているに違いない。だから困るのね――… わかりやすく困った顔をした玄さんは、視線を床に落としてしまった。彼が取ってくれたホテルの部屋は豪華な内装のデラックスルームで、品のよく厚く滑らかな絨毯がひかれていた。彼は一心にその先を見つめている。恩人にこんな顔をさせちゃ、ダメよね。「ごめんなさい、意地悪言って。三か月は詮索しない約束だもんね」「…すまない」「ううん。私のためにここまでしてくれてありがとう。それなのに、困らせてごめんなさい」「いや、構わない」 ようやく顔を上げてくれて、彷徨っていた視線がぶつかる。なにかに傷ついたような彼の顔。どうしてそんな顔をするの? 貴方は一体、何者なの? 聞かないと言ったのにもう貴方のことが聞きたくなる。問い詰めたくなる。 秘密にしないで私に全部教えてよ、って。すべてを知りたくなってしまう。 でも貴
「ひぎい、ゆるじでっ、いだあああああっ」「本物の警察が来るまで、アンタはこのままだ!」 玄さんは怒っているので、本当にTakaさんの腕を折ってしまいそうな勢いだ。 「警察だ!」 通報を受け、自宅玄関に駆けつけた警官二人が現れた。現場は防犯ブザーは鳴り響き、巨漢の男を別の男が取り押さえているという図になっていたので、彼らは一瞬困惑していた。「この男が住人女性を監禁しようとしていました! 逮捕して下さい!!」 声をかけてくれた警察官のうちの一人に、玄さんがTakaさんを突き出した。「ひ、ひがっ…ちが、ぅっ! ぼ、ぼ、ぼ、僕は、彼女の恋人でえっ…! あぎゃぁっ」「彼女の恋人は俺だ! アンタじゃないだろ! 嘘をつくなっ、このストーカー野郎っ!」 ひねった腕に玄さんが更なる力を込めたようで、ぎゃあああ、とTakaさんが悲鳴を上げた。「大丈夫でしたか!」 もう一人の警官が私に駆け寄ってくれてガムテープをはがしてくれた。これでもう大丈夫なのだと思うと、ぼろぼろと涙が零れ、嗚咽が漏れた。 こうして玄さんのお陰で、Takaさんは玄さんが呼んでくれた警察――お兄ちゃんも約束通り、ちゃんと五分後に警察に連絡をしてくれた呼んでくれたと後から聞いた――に現行犯逮捕され、私は九死に一生を得たのだった。 ※ 事情聴取を受け、諸々の手続きを終えて開放されたのが数時間後。私を助けてくれた玄さんと肩を並べていた。「今日は家に帰りたくないだろう。ホテルを取ったから一緒に行こう」 憔悴した私に彼は優しく語り掛けてくれた。そしてあっという間に色々手配してくれて、高級ホテルの一室で私たちは向き合っている。事件から随分時間が経ったので、なんとか会話ができるまでは回復した。「怖いのによく頑張ったな」「ううん。玄さんが来てくれたから…助けてくれてありがとう」
お兄ちゃんが呼んでくれた警察の到着にしては早いと思っていた。恐らくスマートフォンを壊されてしまったから、電話が繋がらなくなったことを心配して警察を呼んでくれたには違いないけれど。 玄さん…ここまで戻って来てくれたんだ!! 真っ暗な地獄に一筋の光が差した気がした。 玄さんにこのピンチを伝える方法は無い? ここで彼に帰られたら、私どうなっちゃうんだろう…。 今後を考えるとぞっと背筋が寒くなった。 なんとかしなきゃ! 周りを見渡した。せめて音を立てるなにかがあれば…。すると、先程ハンドバックが散らばった中身の中に玄さんがくれた防犯ブザーが見えた。黄色いブザーを見ただけで安堵の涙が溢れてくる。 玄さんはいつでも、私を助けてくれるんだね―― 彼に勇気をもらった私は自身に喝を入れ、ガムテープで巻かれた不自由な身体をくねくね動かし、近くに転がっていた防犯ブザーを手にした。プラスチックの感触、それにボタンの場所を確認し、そっとリビングへ続く廊下から続いている玄関を見た。顔だけを覗かせ、聞き耳を立てて待つ。今はまだ押す時じゃない。 こちらには目もくれず、Takaさんはドアスコープを必死になってのぞき込み、来客を確認中だ。良かった。私の動きには気づかれていない。 「チッ、手帳持ってやがる。本物の警察みたいだな」 ドアスコープごしに警察手帳を確認したらしく、ぶつぶつ言いながらTakaさんが扉を開けた途端、ガンっと玄関の鉄扉を蹴るような鈍い音がした。よく見ると外から長い脚が伸びており、玄関をすぐに閉められないように彼は仁王立ちしていたのだ。――玄さんが来てくれた!!「お前っ…さっきの男!」 Takaさんは先程盗撮していた相手の玄さんだということに気付いたらしく、怒った声を出した。慌てて玄関を閉めようとノブに手を伸ばしたが、それを見越して玄さんが玄関の扉を塞いでいるので、扉を閉めることは叶わなかった。「クソっ、なんで!」「眞子はどうした? それに、アンタは誰だ。こ
「なんで? どうして眞子は僕の言うことが聞けないの! 僕が提案しているんだからさぁ、素敵って言えよッ!!」 今まで温和だったTakaさんの態度が一変し、激昂した。「君は僕の運命の彼女なんだ! 僕と食事もして楽しい時間を共有しただろう! だからもう僕たちは結ばれる運命なんだっ! それなのに他に男を沢山作って遊び歩いて、僕がどんなに傷ついたと思う? ねえ、解るかなあっ!?」 大声で怒鳴られて身体がすくんだ。 怒鳴り散らす男の人は初めてだから、どう対応していいのか全然わからない。 逆らったらさっきのスマートフォンみたいに壁に叩きつけられちゃうの? 怖いよ、誰か助けて…。 玄さん―― 涙が止まらなくなってしくしく泣いた。「おっと、ちょっとキツく言い過ぎたね。でも泣いてもダメだよ。ちゃんと僕との愛を誓うまで、赦さないから」 Takaさんに詰め寄られていると、ピンポーン、ピンポーン、と再びインターフォンが鳴った。 もしかして、お兄ちゃんが呼んでくれた警察――? 『警察です! すごい声が聞こえていますけど、大丈夫ですか!?』 どんどんどん、と外から連続で扉を叩く音がした。 お兄ちゃん! ちゃんと警察呼んでくれたんだ…。 危うく腰からくだけそうになったけれどここで倒れるわけにはいかない。なんとかしないと!「チッ。面倒だな」 大丈夫ですか、開けて下さい、と、どんどんどん、という扉を叩く音が交差する。お願い、帰らないで――! 心から必死に祈った。「このままだと帰りそうにないな、仕方ない、一旦対応するか」 苛立ちを隠し切れず、Takaさんは頭をガリガリと掻きながらぶつぶつ呟いた。やがて心を決めたように、私の方を向いた。「眞子、絶対声を上げちゃだめだよ。大人しくしていないと、これで切るからね」 まだ手に持っていた玄関を突破する時に利用したチェーンカッターを、目の前に突き付けられた。カ
「もうこれで安心だよ。眞子を誘惑する悪い男たちは断ち切ったから。僕たちの仲を引き裂く悪い奴は、ぜーんぶ排除してあげるからね」「いやっ…! こ、来ないでっ……」 恐怖で引きつる。抵抗さえできず、Takaさんから逃げるように後ずさりするのが精いっぱいだ。「来ないでなんて酷いこと言うなよ! 僕以外の男とは関係を持てるくせに!」「ち、ちがっ、っ……!」 言葉にならなくて必死に左右に首を振った。「じゃあこれはなに?」 Takaさんが自分のスマートフォンを操作し、写真を見せつけてきた。 先程のキャンピングカーで交わした、玄さんとのキスシーンがそこに収められている。「な、ん、で…っ……!」 盗撮されていたんだと気づいた。Takaさんは一体、なにが目的なの?「綺麗に撮れているでしょ? もうすぐ眞子が帰って来ると思って外で待っていたんだよ。今日はやっと眞子の家に入ることに成功したから、ずっとここで過ごしていたんだけど、サプライズで外で待っていたらこんなシーンに遭遇してさ。いやぁ、怒りを抑えるのに苦労したよぉ」「ひっ…!」 嗚咽が漏れる。留守中自宅にずっと侵入されていたなんて……! 考えただけで恐怖が全身を貫く。毛穴中が開き、ぞわっと鳥肌が立っている。 あまりの気持ち悪さに眩暈がして吐きそうになった。 「眞子はどうして僕を裏切ったりするの? こんなことをしても僕の君への愛は変わらないよ? もうこんなことをするのは止めようね」 ニタニタしながら言うTakaさんが怖くて後ずさりしていると、いつの間にかリビングまで後退していて、そこに置いてある小さなソファーにぶつかってバランスを崩した。はずみでその上に置いていたハンドバックが倒れ、バラバラと中身がこぼれ出た。証拠用に持ち歩くため、中に入れっぱなしにしていた封の切った状態の白い封筒も一緒に落ちた。「あ、これ、読んでくれたんだね。良かった」猟奇的と言えるような笑みを浮かべながら、Takaさんが落ちた封筒を拾い上げた。 えっ…?
この情景が目の前で行われている事が現実に思えなくて息を呑んだ。 なぜ、どうして、と頭が真っ白になる。 開けられた扉はきちんとかけておいたドアチェーンに阻まれ、全開になる事は無かった。そのため、ひとまず安堵できた。ほっとしたら涙が滲んでくるが問題が解決したわけではない。「あーあー、ドアチェーンなんか掛けちゃって」 Takaさんはやれやれ、という顔をほんの少し開いた扉の向こうで見せた。「あ…Takaさん、なんで……どうしてっ、わ、わたし、の家の鍵っ……!」「なああーんだ、そんなこと? 簡単だよ、合鍵を作ったんだ」 ニタぁ、と歪んだ笑みが扉の向こうに見える。気持ち悪い笑みは更に恐怖を煽った。「最近は便利だよね。カギの救急車とかサービス満点な会社がいっぱいあるからさ」「か、勝手に…そんなことしてっ、は、犯罪だからっ!」 更に声がうわずる。もう怖い。 どうしよう、どうしよう、誰か助けて――! 「犯罪じゃないよ。僕たちもう付き合っているじゃないか。それなのに複数の男と浮気したりして、眞子は酷い女だよ。僕の運命の彼女がビッチだなんてマジで赦せないな。――でもね、僕は心が広いから、赦してあげるよ。魔が差すこともあるよね。だから話し合おう。ここを開けて?」 あまりの恐怖に声が出ない。ただ激しく首を振った。スマートフォンを操作したくても、指が氷漬けになったみたいにぴくりとも動かせない。「あ、そ。知ってた? ドアチェーンなんてクソの役にも立たないんだよ、眞子」 Takaさんは大型のチェーンカッターを持参していたようで、数センチ開いたドアの隙間からカッターを器用に入れ、いとも容易くチェーンを切ってしまった。「っ…!!」 目の前で無残に切られたチェーンが、途中からだらしなく垂れ下がった。私を守ってくれる小さなチェーンはいとも簡単に壊され、惨めな姿を晒している。「念のために持ってきておいて良かったよ。優しく言っ
「どちら様ですか!」 私のマンションは築ン十年と経っているため、古いから家賃が安い。従って、ドアも簡易的、インターフォンに画面が付いているような、今風のセキュリティー抜群な場所ではない。玄関の扉越しに、来客に向かって怒鳴るように言った。 けれども返事は無い。 代わりに、ピンポーン、ピンポーン、とインターフォンが鳴り響く。 仕方なくドアスコープから来客を確認した。予想通り、Takaさんが玄関に立っている。 どうしてここにという間抜けな疑問が頭を掠めるが、恐らくあおいさんにある程度の私の情報を聞いて、後は独自に調べ上げたのだろう。粘着質な感じの人だったし、あおいさんから見せられた気持ち悪いSNSの文章や、隠し撮りした写真を許可も無く平気でアップする神経とか、総合的に考えると色々納得がいく。『眞子、すぐそこにいるんだろ。ここ、開けてよ』 ドアスコープを覗いていると解ったTakaさんは、ニタニタと笑いながら言った。名乗ってもいないのに、私の名前までちゃんと知っている。 その姿の気持ち悪いこと! 恐怖しか感じなかった。 『まーこー』 背筋が寒くなる。名前を呼ばれるだけで、背中を虫が這いずり回るようにぞわぞわと悪寒が走った。本当に気持ち悪い!「か、帰って!」声を上げ、反撃に出てみる。恐怖で声が上ずった。『つれない事言わないでよー。僕と君の仲じゃないか』 どんな仲よ!「か、帰って、く、くれないと、け、警察呼ぶから!」 声は上ずったままで舌がもつれる。しっかりしろ、と握りこぶしを固めた。『それは困るなぁ。そうだ、家の中で話し合いしようか。眞子は僕のことを誤解しているだけだから、その誤解を解きたいな』「誤解なんか、し、していないし、そのまま帰って!」 嫌なものは嫌だと訴えられるようになった私は、Takaさんに反論した。家の中だという安心がある。そうだ! この際自分で110番すれば―― 下駄箱の傍の
長く甘いキスを交わし、正式に恋人同士に(お試しだけど!)になり、夢うつつのままマンションの自宅の玄関前に到着。 キスの余韻を思い出すと、もっと玄さんと触れ合いたかったと思う。でも、まさか自分が名前すらも知らない男性と恋に落ちるとか、お試し付き合いを決めちゃうとか、そんなことになるとは思わなかった。 よく考えなくても色々アウトな気がする。理世ちゃんに言ったら『絶対やめた方がいいです、詐欺られますよ』とお叱りを受けそうだ。 でも信じるって決めたし。 けど素性がわからないのは不安になる。 私はプルプルと首を振った。家の前でおかしな行動をとっていないで、早く入ろう。 鍵を穴に差し込むと、ほんの少し違和感を感じた。なんだろう? 普通ならスムーズに入って左に回すと鍵が開錠される。なのに、ものすごく固くて回りにくい。冬場は寒さの影響でサムターンが縮むのか、鍵を開錠するのに苦労する時があるけれど、それとは違う。 おかしいな。夏なのに。今までこんなことはなかった。 固い扉を何とか開錠し、扉を開けるとむせかえる熱気に包まれる。 蒸し暑い室内が、閉め切っていたせいで温度が上がりすぎたのかな、と思って軽く換気し、バーベキュー等で利用した荷物を開けた。利用した網やトングを洗って、ごみを分別しなきゃ! ピルルルル ピルルルル あれ。電話だ。私のスマートフォンが鳴っている。お盆休みのこんな時期に一体誰かな?『眞子、元気か?』「お兄ちゃん!」 電話はビデオ通話アプリで、五歳年上の兄、清川智樹(きよかわともき)からかけられたものだ。お兄ちゃんは今、実家に義理姉と帰省中だ。連絡があったということは――「もしかしてっ、赤ちゃん産まれたの!?」『ご名答! ついさっき、産まれたんだ』「わぁ…! 良かったね、おめでとう!!」 自分のことのように嬉しくて、つい大きな歓声となった。「今日は遅いから明日にでもお見舞いとお祝い持って行くね! あ、産後だから栞(しおり)ちゃん身体辛いかな? 遠
瞬く間に時が過ぎて帰宅時間となった。片づけを終えて夕方に自宅まで送って貰った。自宅到着後、帰り際の車内で真剣な顔をした玄さんに話がある、と引き留められた。「なあ、眞子。お試しでいいから俺と付き合ってくれないか? お互いのことはこれから知って行けばいいと思う。今日は君の言葉に沢山救われた。俺は眞子を大事にしたいと思う。決して裏切ったりしないと約束する。だから前向きに考えて欲しい。まだ出会って間もないけれど、俺はもっと眞子のことを知りたいと思う」「玄さん…」 嬉しさ反面、本当に大丈夫かという気持ちが狭間で揺れた。 勇気を出して付き合いたいと伝えるつもりだったのに、臆病風が吹いてしまう。 でも、これじゃダメだよね。自分から一歩踏み出さないと! 玄さんに自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ。「玄さんの気持ちは、すごく嬉しい。私も、玄さんのことが気になっているのは事実よ。だから、このままお付き合いしたいと考えている。でも、心配なこともあるの」 今しか言うチャンスは無いと思い、意を決してお願いしてみた。「私達、未だ本名も知らないじゃない? せめて、本名を教えてくれないかな。できれば免許証とか見せて欲しい」「…そうだよな。眞子がそう思うのは当然だ。本当は素性もきちんと話して、フルネームも名乗って、眞子を安心させたい気持ちはあるけれど、でもごめん。まだ時期尚早なんだ」 玄さんは瞳を伏せ、悲しそうな顔を見せた。本名名乗るだけで時期とかあるの? 彼の態度で一気に不安になった。 「ごめん。名を名乗れないのは理由があるんだ。本名を言ってしまうと、俺がどんなヤツか、ネットで調べただけですぐわかってしまうんだ。多分、どこかで聞いたことがある名前だから、調べなくてもわかるかもしれない。勝手を言っているのは重々承知だけれど、素性を告げるのはもう少し待ってくれないか。周りの説得も必要だし、これについては三か月、お試し期間として時間が欲しい。三か月後には、包み隠さずに素性を話す。免許証や身分証明できるものを君に見せる。約束するから」